3ヶ月で会社を辞めたゆとりがブログを書いてみた。

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東大卒ニートの兄にみた、キャリア選択の難しさと間違った「甘え」②

 

この記事の続きです。

3yutori.hatenablog.com



東大入学〜兄の初めての挫折と、父の突き放し

 

兄の初めての挫折の話 

家庭内でのごたごたがあったものの、東大にしれっと入学した兄。

そんな兄が「人生初の挫折」を経験したのも入学して半年たたないくらいの時期だった。

 

これは「東大あるある」らしいのだが、

東大では頭がいいことがスタンダードであるため、

自分の頭の良さに特別感を抱いていた人は自信をなくしてしまうらしい。

人によっては人生の意味を見失ってしまったり、大きな挫折経験となることもあるらしい。

 

挫折する理由というのは、以下のとおりである。

 

これまで小学校・中学校・高校と勉強面で常にトップに君臨してきて、

「勉強のできる自分」にめちゃくちゃ自信を持っている全国の学生が、東大に集まる。

東大内でも授業やテストで競う機会がある。いきなりハイレベルな勉強の戦いに巻き込まれ、

自分より優秀な人を目の当たりにすると、プライドがポッキリ折れて、自信を失ってしまう。。

そうして本人は思う、

「勉強という大きな強みを失った俺は(私は)、いったいどうしたらいいのだろうか・・・・。」

 

・・・とお悩みになってしまうというわけである。

 

兄は例に漏れず勉強ができたのと、運動も手芸も料理もなんだかんだ要領よくできたので、それまでの大概の争いごとには負けずに勝ってきた人だ。

(兄が高校の技術家庭科の実技でも学年1位を取っていたことを思い出す。愛らしいキルト素材でティッシュカバーかなべ敷きか何かを作っていた。)

 

そういう、何事もよくできるところは家族でも純粋にすごいと思っていたが、

やはり学力というのが本人の1番の心の支えだったらしい。

具体的になんの事件があったかは知らないが、やはり東大で「頭のよさ」ではどうにも勝てない人間がいることを知ってしまい、絶望に打ちひしがれたそうだ。

 

それが彼にとっての「初めての挫折」。

 

成績優秀者たちの贅沢な悩み 

さて、これは高校でのテストでは万年中間位というつまらない成績だった私には、

まったく理解できない贅沢な悩みである。

(テスト前、頑張っても頑張らなくても本当に万年中間位だった)

 

脱線するが、中学生の時に、常に成績トップだった男の子が、

学期末の終業式で行った全校スピーチを思い出す。


内容はうろ覚えであるが、だいたいこうである。

 

 「僕は信じられないミスを犯してしまった・・・

いつも学年1位なのに今回は2位になってしまった。ありえない、自分の怠慢だ。

描いていた自分の進路が断たれてしまうかもしれない。どうしよう。

いまからならやり直せる。・・頑張ろう、まだ間に合うと信じて。

 

「まだ間に合うと信じて。」と題されたこのスピーチは、当時の私たち下々のパンピー(成績 非・上位層)の間では伝説のネタになった。

今考えても、都会の進学校じゃあるまいし、

片田舎の中学校の全校スピーチでそれ言えちゃう度胸はすげーよと思うし、

同じ体育館で1位の子も聞いているのに、どうかしてるぜ!と思う。

 

それ以上に、私からすれば正直1位2位合戦をしてため息つくのなんて、ブルジョワたちの羨ましい悩みであった。

この手の悩みには私は心底、共感できないタチだったのだった。

 

(彼は今は早稲田の院でロボット工学かなにか研究してるらしい。あのスピーチで言っていた夢を叶えたのだろうか。)

 

挫折した兄を突き放す父親

話を戻す。

兄の悩みは、遅かれはやかれ、誰しも一度は通過する挫折経験の一つだっただろう。

 

私にとっては羨ましい悩みではあったものの、

実際に兄に会ってみると外野が思っているよりも深刻そうであった。

実家に戻った時の彼は、青ざめて憂鬱そうにしていた。

そんな彼に「お前の悩みなんてどーでもいいわ」と言うのはあまりに酷だったので、

母と私とで、体面上は慰めてあげていた。

 

兄がこの経験によって多少丸くなれば、人の気持ちがもう少しわかって

コミュニケーションも上手くなるかもしれないし、彼のためにはよかったんだろうと思った。

 

だが、兄が勉強のことで人と比べ悩んでいることを聞いた父は、こう言った。

 

「ほらな。だから、東大なんか行かずに医学部にいけばよかったのに」

 

「あの受験の時に、家族内で大騒ぎするだけしておいて。ちゃっかり東大にも現役で合格したのに、もう東大の文句なんて言って。

だから俺の言う通り、地元に残って医学部にいけば、そんな悩みを知らずによかったんだ。

 

医学部に言ったところで兄より優秀な人間もたくさんいそうなものだが、

 

父はどうやら「兄が自分の意思で決めて、失敗したこと」にケチをつけたいのだった。

 

兄はその言葉を間に受け、いっそうどんどん落ち込んでいった。

そして私や母がかける慰めの言葉は、本人には届かないものになっていった。



兄はそうして、鬱のような症状を発症するようになった。

 

 

続きます。